泣こかい 飛ぼかい 泣こよかひっ飛べ

 夢に届くまで、跳べるだろうか?跳べないかもしれない。でも、迷って泣くぐらいなら跳んでしまおう。の意(たぶん)。
まさにそう思う今日この頃。私も、跳んでしまおうと決めました。

 今回は、跳ぶことに躊躇する自分に驚きました。家族の事を考えるとは言え、それを差し引いてもいつの間にか年をとってしまったのか?とも思いました。
「能力を未来進行形で捉える。」という事を10年前に教わりました。つまり、今の自分の能力をもってできる、できないを判断することはたやすい。大事なことは自分の能力の進化を予測して、選択肢をつくりそれらを選ぶということ。

 10年前は、「自分の能力が無限大だと思え」と類似語だと思っていました。でも、違いますよね。無限の可能性を信じて愚直に邁進するのは良い事ということでしょうか。その教えの意味が最近、なんとなく分かってきたような気がします。30歳をこえて、良い意味でも、悪い意味でも自分の今の能力を20代の頃よりは客観的にはみられるようになりました。大したことはない能力です。なので、どうするか。できない事に目を向けても仕方がない。夢に届くために絶対に、出来るようにならなければならないのであれば、やるしかない。必要ないのであれば、やらない。それだけなんだと思う。その上で、無限の可能性を追求する。

「現在は過去、未来はこれからつくるもの。」
これまでの積み重ねの結果が今の自分であり、今の自分の環境です。何を積み重ねてきたのかなと思うと、がむしゃらにやってみた事だけ。どこに行こうとしているのかをもう一度考えて、地に足をつけてもう一度走ろうと思います。今から積み重ねることが未来そのものです。
「何を積み重ねるのか?」 と 「夢は何ですか?」が言葉にできないまでも、自分のなかで繋がらなければ、すっきりしない。

自分の能力を未来進行形でとらえよう。泣こよかひっ跳ぶ。跳ぶ。